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コラム欄過去ログ
音楽に限らず、ふっと思うことつづってみました。

猫のイラストもう一点追加でUPです。
猫のイラストmEophさんからの提供の報告です。音楽図鑑のイラストのコーナー にUPしておきます。そらいろにとけ込んだミーヤがイメージとか・・素晴らしいです。
2001年03月13日 08時02分03秒

中川元官房長官に接近したよ
偶然、中川元官房長官にお会いした。とは言っても、別に話や挨拶をしたわけじゃないです。
ある芸術鑑賞の場にてただ空間を同じくしただけですが^^;
政治好きの僕はひとめ見ただけで中川氏であることに気づきました。国会議員バッジらしきもの 付けていらっしゃったしね。一緒に行った友人(政治は無関心な人)に「あの人、中川さんかもよ」と 耳打ちしたところ、さすがに渦中の中川氏。その友人すら「あっ、そうみたい」・・

思想的にも政治的にも僕とは大幅に意見を異にする元官房長官ではあるけど、真摯な顔つきでの芸術鑑賞の御姿勢は 敬服ものです。全ての作品に対し真剣なまなざしで凝視されガイドの方の説明に一つ一つうなづかれ 感想を小声で述べられてるお姿は、一瞥した感じではその辺の小太りのおじさんと変わりないけど、その実 なかなか渋かったです。

森総理は自らのゴルフ事件やその他いろんな事項の責任をとり昨日辞意を表明、総理の盟友中川氏(官房長官を 個人的な問題で辞任)の件も当然、辞意表明の一つの要因にはなっているとは思うけど、芸術鑑賞はそれら、きな臭い 政治や政局等を完全に超越・凌駕するものです。また、同氏ご自身週刊誌の報道をめぐり「内容が一方的」と訴訟 を起こされたとも。

そして、難民の船上生活を扱った作品の前で腕組みをされなにか感慨にひたっておられるようなお姿を見て僕は 「彼は世間で言われているような散漫な思考・態度の政治家などではなく真剣に世の改善を考えておられるお方 」と直感しました。再びTVの討論番組にお出になって彼なりの信念を述べるのを聴いてみたいと思いました。

今度はいつどこでどんな有名人にお会いできるかなぁ♪

2001年03月11日 21時01分05秒

外務省は枯れた虚飾の森
巨額の機密費流用事件におびえているともうかがえる外務省だけど、今度は同省の別の 会計担当職員が公金700万円着服を把握しながらも処分せず不問に付していたことがわかった。
事件が同省内の内部査察でばれたのは1993年。しかし、同職員は「自分を処分するなら機密費の 実態をマスコミにばらす」と開き直ったことから処分・及び警察等への告発は見送られたそうな・・・
そいつはなんと現在でもオセアニア地域の大使館に一等書記官として勤務しているとのこと。
しかも今、世間を騒がせている冒頭書いた、巨額の機密費流用事件のいわば主犯格の松尾某元要人外国 訪問支援室長はその野郎と旧知の仲。一連の経緯を詳しく知っていたとも・・・
「その時の幹部の甘い対応が松尾を安心させ巨額の横領に走らせたのでは」って言う声も十分説得力が あります。
現皇太子妃の父親小和田氏も外務省大幹部だったと伝聞してます。また、与野党を問わず外務省出身の国会議員たち に対しても僕は小和田氏と同様「機密費の実態」やこの事件のことを含め同省が未だに隠そうと躍起になっている であろう複数の負の部分を知っていたのではないかと疑っています。

とにかく民間人ならとっくに逮捕されて然るべきの人物がいまだにぬくぬくと官僚生活を謳歌してるであろう貧困な 実態を持つわが国です。また、それらをカバーアップ、告発しない公人たちもいわば同罪!
彼らが自ら思い込んでいるのであろう権威なんて本当は砂上の楼閣にも等しいむなしい幻想。僕はこれから何年・何十年経とうと生 きている限りそのような虚飾のオーソリティには反骨をむきだしにしていこうと思っています。

2001年03月08日 06時40分02秒

心の琴線への気配り
よく過疎地の町村などで「結婚して子供が生まれたら村の活性化の報奨金(類する形のものも 含め)として行政からいくらか出す」とかあります。
だけど、なかには例えば行政からも 祝福されながら都会から奥さんを迎えたのだけど子供ができないというご夫婦もいらっしゃいます。
彼らのお気持ちを推察するとやり切れません。特に奥さんたちの・・・・・・・
役所による「嫁不足」ヘの対応理由が「後継者の創出」「人口増加」となると・・・
ただでさえ女性の方々はこころない 封建的価値観などにより何かと差別されてるのに・・・・・・・

行政とは気配りが、特に少数者へのそれが口触りのよいスローガンの勢いなどに押されて、軽視 されがちだと思います。
「万が一でもある方々の心の琴線の部分を傷つけるのではないか」という配慮が本当に 大切だよね

2001年03月07日 06時53分27秒

アフガニスタン、石仏破壊を始める・・
アフガニスタンを事実上支配するイスラム原理主義勢力、タリバンは約2000年前に 建立された高さ50メートルと35メートルの二つの石仏ヘの破壊攻撃を開始した。
同国全土の彫像や仏像は博物館にあるものを含めすべてヘの破壊が開始したのです。
自らもイスラム教の聖職者でもある、タリバンの最高指導者は「偶像崇拝を禁じるよう 求めたイスラム聖職者の意見に従った」と平然としているとか・・

仏教において仏像などを拝む行為は偶像崇拝ではありません。偶像崇拝とは経文などの 文献的根拠なく単純に物体を拝む行為です。例えば大木にしめ縄を巻いてそれを拝む行為などがそれに 該当すると思います。(もっとも、それに後付けではない何らかの文献的根拠がもしあるなら その限りではありません。その文献の評価は主観でかまわないと思います。)
仏像の内部には必ず「なぜこれを拝むべきなのか」という経文が何らかの形で収められているそうです。
したがって意味もなくただやみくもに拝んでいるわけではないと考えます。むろん、信者がそれを 知っていて意識しているかどうかは別問題。仏像を拝む理論が仏教内にある以上は信者の形態は 関係なくその崇拝行為は「偶像崇拝」ではありません。彼等は「像」などの奥にある「仏法」を崇拝していると考えます。
仏像崇拝の表面だけみて「偶像」との断定はおそらくは意図的なものか、またはアフガニスタンのイスラム教聖職者たちなど の無知からくるものだと思います。

むろん上記アフガニスタン権力者、聖職者による国際社会の警告・抗議を無視した蛮行はとても悲しい ことです。たとえ、仏像が彼らが言うよう「偶像」であったとしてもとてもじゃないが許容できるもの ではありません。 なお、人道に関する事柄について「内政干渉」という言葉はないものと信じています。

14世紀にイスラム教が流入するまでは仏教国だったアフガニスタン。しかし、それ以来600年以上もの 間、決して仏像を壊したりはしなかった同地のイスラム教聖職者たちこそ本物のそれであり、今いる、仏像を 破壊するそれらはニセのイスラム教聖職者であると思いたいなぁ(ため息・・)

2001年03月03日 07時26分38秒

15番(音量とエフェクトを)30番(音色を)一部修正しました。
僕の音楽図鑑の15番(underthebridge.mid)と30番(bridge)も音色等少し変更しました。
15番はなんと途中からのエレクトリックギターソロがDLAY(音を遅らせる)のエフェクトが 強烈にかかっていて狂乱状態になっていました。これってUPした当初からではないとは思います。 原因は不明。さっそくエフェクター数値をはずすと正常に戻りました。
あと楽器音量もいびつな部分やその逆を一部発見しましたので是正しました。

30番は途中からのエレクトリックベースソロ部分がスラッピング(チョッパーとも)奏法のとこ がまるで異なるE・ベースのように聴こえたので思いきってその部分は全部標準的なE・ベースである fingerという音色に統一しました。以前の音源ではその奏法にさしかかるときだけ slap2のベース音色にしててもあまり違和感がなかったのですが、最近購入した最新の外付音源で 聴いてみると結構あったもので・・・

そこで何度も同じお願いばかり書いて申し訳ありませんが^^;
僕は絶対気分を害したりはしないから、もし音量や音色の部分で感じたことあったらPlease tell me です♪

2001年03月02日 06時54分17秒

2月にゆかりの慣用句
ついこのあいだ2月になったかと思ったのだけど今日はもう28日。早いものです。
僕がはじめて覚えたことわざ・慣用句は「1月はいぬ(往ぬ)2月はにげる(逃げる) 3月はさる(去る)」という表現で小学校3年生の3学期の最初だったと記憶です。
大学をでたてだったか、スポーツマンの先生でしたが上記の慣用句をみんなの前で 紹介し「3学期とはこのようにすぐ終わってしまうもの。だから、・・・」などとおっしゃっていたのを 覚えています。
もっとも僕はそのころから動物好きで「いぬ」「さる」「逃げる」の言葉のバランスが妙に 心に残ってなんか印象深くうれしかった心地でした。

先生とは少し以前、夜の歓楽街でばったり会ってもちろん覚えていてくださいました。
「今から仲間(多分、同僚の先生方)とちょっと・・・」と少しテレ気味におっしゃっていた ところが、僕のイメージに残っていたいかついスポーツマンと対照的な雰囲気を感じちょっと可愛かったです^^
「奥様や子供をいつまでも大切にね!」とつい心の中で言っちゃいました。多分、先生は僕の期待通り 模範的な家庭人・模範的な小学校教諭で名実ともに引き続きずっと敬意をお集めになると確信しています。

2001年02月28日 07時04分22秒

将棋
高校のころよく教室で休憩時間などに将棋をしていました。紙にボールペンで 盤を書き駒の動きなどはシャーペンと消しゴムで!もちろん自宅や友人の家でも盤をはさむの に夢中になってたことも。
一時的な熱で今ではほとんどしませんが結構本を買ったりして研究もしていました。
僕の将棋は「防御こそ最大の攻撃なり」で守り・受けが機軸。相手に責めさせその 攻撃ミスにつけ込んで一転反撃に転じるというパターンが好きでした。
が、ヘボ将棋仲間の中ではかなり強かったのですが修学旅行の時別のクラスの本格的に 将棋をやっている人と対戦。赤子の手をひねるがごとくいとも簡単に負けたことは まだ忘れられません。その時は角落ち、飛車落ち、二枚落ちでもやったけど結果は同じ。
普段はその人は全然目立たなかったけどこの時ばかりは彼の顔は後光がさしてあるかの ようにまばゆかったです。だけど彼は威張るわけでもなし物静かに対局後の感想戦にて いろいろ「こうすればよかった」「こうこられたら少しは困った」とか教えてくれました。
それにしても感想戦とは勝負の後に最初から試合を盤上で再現することなのですが強い人は すごいです。何しろ全部完全に覚えているのだからー!
僕は元来あまりくやしがらない方ですし、「負けて当然」と晴れ晴れとした思いだった ことを覚えています。
でも、僕なんで将棋をしなくなったんだろうか?今からでも遅くないっていう気持ちも あるけど多分しないだろうなぁ。やること山積みだし・・・さっきああは書いたけどやっぱり 負けるのが悔しいのかも@@

ゆったり将棋の本が読めるような余裕のある自分にいつかはなりたいものですぅ^^;

2001年02月27日 07時53分31秒

音色変更
音楽図鑑8番のful.mid(奇妙な取り引き)、主旋律楽器の音色をナイロンギターから ビブラフォンに変更しました。
2001年02月24日 16時46分54秒

作品17番の音量を変更しました
僕は今、正式に外付ミディ音源をローランド社SCー55から同社SCーD70に変更しています。

それで閲覧者の方々の音源メーカーやソフトシンセ音源、パソコン内蔵音源を問わずSC-D70のほうが 前者SC-55の音よりより似たサウンドを出すと思われますのでまた一曲ほど主旋律やソロ楽器の 音量を変更しました。主旋律のそれを増しソロ楽器のそれを幾分小さくしました。
作品17番のtoy boy.midです。

久しぶりに同曲を聴くと主旋律ナイロン弦の音がやたらと小さく代ってソロ楽器オルガンの音が やけにでかかったぁ。新音源を購入した後こまめに自作曲の音量をチェックしていなかったことを 反省しています。

1月22日にも当欄(現在は過去ログ)にて数曲ほど名指しで音量及び主旋律楽器変更の報告をさせていただいています。

皆様で「聴いてみたけど特定楽器の音量がやたらとでっかいとかその逆」をお感じになったら どうか掲示板かメールで教えてね。そうしていただければ本当に助かります。PLEASE.

2001年02月23日 08時12分53秒


A氏の宿業
今は全然付き合いはないけど、以前よく僕んとこに電話かけてきて「ゆうくん、今夜軽く 一杯どう?」って酒席を誘う年上の人がいた。その方とは二人だけで飲む場合がほとんど だったけど、たまに彼の会社の同僚が数人同席することもあった。
二人の時であってもその方の話は退屈する上司の悪口話や様々な自慢話中心で聞いていても あまりおもしろくありませんでした。僕が政治けっこう好きだからその手の話もしかけてきた けど内容は陳腐な一般論とか感情論で話を合わせるのにはかなり苦労しました。(話を合わせる術の体験学習 にはなったけ ど・・)

その方が奈良に御自分の会社のイベントで行かれた時、あるきっかけがあり僕も新幹線の往復チケット を事実上無料で手にして同行したことがあります。が、その旅行は僕にとっては退屈の極致で得るものは 何もない旅でした。だって、僕は東大寺をはじめいろんな観光寺社仏閣が回れるものと期待していた のに彼からの言葉は「さあ、仕事は終わった。これから大阪の面白いところに行こう!」って面白くもない 大都市歓楽街ハシゴのお供だったから。まだ、明るいうちから結構飲まされました。
数軒目の店は難波で本人は気にはいってたようだけど、めちゃ俗っぽく僕的には最悪。もう深夜をかなり回っては いたけど彼が酔っ払って店のバイトと機嫌よく興奮気味に話し込んでいる隙にとってつけたような理由を 早口で言って急ぐように店の外へ。そのまま東三国の友人のマンションにタクシーで駆け込みました。

別に僕の遁走をその方は怒ったわけではないけど、その後彼はあることが直接の原因で学生結婚で結ばれていた奥 さんや幼い子供とも 別れてしまいました。そして、それま で以上になんか 浴びるようにお酒を飲んでたみたいです。(多分、今でも.・・)
勤めていた会社も退職・・・
離婚の当初はあいかわらずよく電話がきました。離婚原因は多分、一方的にそのご主人の方にあったとは思うけど 僕も可哀想に思い、しかし一人はいやなので数人の友達と一度だけ泊まりに行ったことがあります。だけど、その 席で 彼は酔っ払って僕のプライバシーを得意げに暴露したりしました。それについては怒る気にはなれない ぐらい全然恨んでは いません。が、後で一緒に行った友人たちや彼らが所属する団体ヘの罵詈雑言を聞かされたりしている うちに「可哀想 だけどこの人は僕では手に負えない」と思うようになり後には電話が入っても結構冷淡な対応を するうちに自然とCALL はかかってこなくなりました。
以前は一流大学→大企業のやり手社員だったその方はもしかしてこれからも奈落へと転落していくのでしょう。

ただ唯一の頼みの綱は東京在住の実家のご両親がいらっしゃることです。彼はご両親から温かい愛情たっぷり受けて育て られたとか・・その 親からの温かい愛が多分裏目にでたのだと思いますが今度はご両親のの愛情がいい形で彼を蘇生・復活させ てくれることを願うばかりです。

2001年02月23日 03時20分41秒

在日の方々への無形のイメージ被害を懸念します
今、コンビニで立ち読みしたばっかなんだけどやっぱり週刊誌はルーシーさん事件の 織原容疑者が帰化した元在日韓国人の方だってこと書いていました。僕はアングラって呼ばれている ネット情報でそのことは既に知っていましたが活字になってるのを見たので一応事実として 認識しました。
また、新聞での週間文春の当該号の宣伝見だしには「四つの国籍を持つ男」とか書かれて いたのを朝見ていました。多分、その週刊誌はわざと新聞広告見だしからは「在日韓国人」 の言葉は載せなかったものと推察です。「あっ、織原は韓国かぁ」って確認したい人たちがたくさん買ったん だろうね。でも、今後のためにもそれは立ち読みですますべきだと僕は思いました。

文春に出た以上今までは多分そのことを伏していたTV・新聞各紙も彼が元在日の方であったことをどんどん書くでしょう。 事件も自白も大詰めを迎えているようだし。
過去ログ欄にも書いてるけど世田谷区一家皆殺し事件での国民によるいろんな推理ともからみ在日の 方々への無形のイメージ被害を心配しています。
「それは事件の本質ではないし上記の懸念もあるので週刊誌は書いたけどウチは書かない」、っていう気骨と定見 ある編集長やディレクターがたくさんいればマスコミもまだまだ捨てたものではないんだけどね。

あっ、僕がここにそれに言及したことを書いたのはまた意味は別ですゥ。 それはわかってね。

2001年02月21日 03時48分09秒

mEophさんからの提供MIDI作品「おそらのさんぽ」
僕の音楽図鑑の33番のイラストのところに昨年末事故死した愛猫 ミーヤをイメージして才女^^mEophさんが創作・データ制作 された素敵なピアノ「おそらのさんぽ」をUPしました。

初めての他人曲のUPですが亡くなったミーヤも自分ヘの曲が自分を描いた イラストを見ながら皆さんに聴いていただけることをほんとに喜んでいると 思います

けっこう、いたずらっ子だったミーヤ。彼の意気揚揚とした散歩ぶりが 曲の中にも如実にあらわれていて僕にとって故猫をしのぶには絶好の 作品です。
改めてmEophさん、ありがとうです。
皆さんも是非彼女のあたたかい心のこもったイラスト&MIDI曲 を体験してみてね。

2001年02月18日 07時04分57秒

祝合格!
音楽室29曲目の「Magical E Mail」創作の動機となった、僕にYahooのGREETING BIRTHDAY CARD のメール送ってくれたチューボーから「無事、高校入試に合格したよ」っていうメールがきました。
僕もSo Happyです♪
惜しむらくはそのチューボーのパソコン環境ではなぜかサウンドは聴けないらしいらしい(泣)
普段、会う機会はほとんどないのでまだ一回も僕の曲聴いてもらっていないのです。
メール返信したけどフリーメールサーバーから「物理的に送信できません」と戻ってきました。
もうひとつのメール番号にも送ったけどフリーメールたくさん持ってるようだし早く開いてくれれば いいんだけどね^^

チューボー君!^^これ見てたら合格祝いでソフトシンセ音源か外付音源、もしくは新しい パソコンご両親に買ってもらうように頼んでねー

2001年02月17日 08時02分36秒

またかぁ、総理のボロ露見&当コラム欄の根本姿勢
総理が事故一報を聞いた後もゴルフを続行していた高級ゴルフカントリー クラブの四千万円する会員権は彼の知人のある社長から事実上無償で譲り受けていた事がわかったとか・・
しかも税法上は贈与を受けたとみなされ贈与税の納税義務が発生するのにも関わらず首相の事務所は納税手続きは 取っておらずまた 閣僚の資産公開などにも記載していないということが分かった。
後ろめたいことは できないものだにゃー(`´)

ゴルフ続行事件に引き続き、言い訳の詭弁、漫才に終始する総理の醜態はもはや末期現象でありましょう。 なんだか哀れでここにも総理の批判書く気力も失せそうです。
だけど、国民が「フン、政治や政治家っててそんなものよ!」 との態度で投げやりになればまさに彼らの思うつぼ。

あっ、なんか「おい、ゆうくん、こんなさびしいサイトで一人叫んでも時間の無駄だよ」って いう声が聞えているような気も^^;
だけど、僕はたとえ一人の方であっても読んでくださる方がいれば政治的言論に限らずいろんなこと 真剣に書くつもりですぅ。それは音楽のほうも同様です。

それから確かに ここの欄、見てくれてる方々は少ないと思うけど(オリジナルreadingメンバーのYOUたち にはそのぶん大感謝なーり♪) 幸いなことにこの種の形態での言論は形あるものとして容易に永久に残すこともできるよね。
また、後々今以上の多くの方々に読んでいただければっという希望も保ちつつがんばって書いている つもりです。
その意味でもおりにふれて政治や政治家批判は書いてみようと思っています。

あっ、多分次からは過去ログの上の方から続いている政治話はちょっと一休み。他の事を食材にした文の料理で心を込めた お給仕を行なうつもりです。
でも、その時の気分次第でござる^^今後ともよろしくねー^^ー

2001年02月16日 03時46分15秒

国辱外交
宇和島水産高校実習船が米国原潜に衝突され9人の行方不明者を出している事件、事故勃発 時に原潜を操縦していた3人のうち2人は見学で乗りこんでいた民間人であったとか(絶句)

こういう時は国民全体が怒りを表明しないと政治家達は動かない。ただでさえ米国にとっては 妙に物分りの良い「親米政治家」「親米官僚」が幅を利かせているのがこの国なのだから・・

総理は「ゴルフ続行」で詭弁にもならない詭弁を考えるより早く「えひめ丸」の引き上げと 軍情報を含む資料の公開、そして責任者の処罰などを米政府に強く主張すべきである。議員、官僚も 然り。
国辱外交って言葉があるけどなんか親米=米国いいなり=進歩的リベラルと思いこんでいる 支配層が多い現状では「今回もまた・・」っていう懸念が生じます。

中国などアジア諸国へは戦前の侵略のこともあり、一部の国家主義みたいな方々が「日本は国辱 外交!」と的外れな批判を繰り返すことはあるけど、対アメリカについては日本はいわば原爆投下 を含め民間人への無差別攻撃を受けたいわば被害国です。
戦後も日本は「安保」「米軍基地への思いやり予算」「米国剰余農産物の買取り」などなどさんざん 同国の国益に寄与した意思決定・受け入れを「親米政治家」主導のもと行ってきています。
しかも、冷戦構造の終焉の状況にも関わらず何かと米軍や同国政府に従属している状況では「日本は 米国の属国」と自嘲的な態度を装う日本人がたくさん出てきている現状もうなずける部分も多々あります。

今回の人為事故をきっかけに為政者による「事実上の属国」からの脱皮を強く望みます。
それが九人の行方不明者やこれまで米軍にいろんな意味で犠牲になったすべての方々への礼儀で ありましょう。
まぁ、森政権では無理かも・・だから、公明の政権離脱は是非とも必要なのです。

森氏がやめれば株式市場も上向き、僕も株やってる知り合いのおじさんから、たまーにだけど^^より高価な ものおごってもらえるかも!
あっ、最後は余計なことだったね。冗談・冗談!(*L*)
でも、そのほうが確実に日本経済は安定すると推論しています。

2001年02月15日 03時33分02秒

おへそが茶を沸かす総理による弁明
前回(過去ログの一番上の欄にあります)の続編を少し・・

「私が行かぬことで何が遅れたか」「遭難したらすべてが危機管理か」とは 森総理は原潜による事故の通報を受けた後もゴルフ続行をしていた批判に ついて居直っている言葉です。

陣頭指揮を取るべきリーダーが拠点にいない、急ごうとしない、遊んでいる ことへの有形無形に関わらずの部下や国民への士気の低下ヘの顧慮の大切さが この北陸の二世議員首相にはわからないようです。
また、相手国アメリカへの影響力・インパクトも「すぐ官邸に駆けつけた」と「ゴルフ続行」 では全然違うはずです。国際感覚・外交折衝感覚もこの裸の王様的と形容したくなる 総理には欠落しているようです。

相手がアメリカ国軍の原潜であったという特殊性については前回ここでも言及しましたよね。 したがって後者の「遭難したらすべてが危機管理か」も全く理由になりません。
特殊性といえば、もし行方不明者の中に皇族や巨大財界人・大物代議士等の子弟が いたなら彼は果たしてゴルフを続行していたでしょうか。むろん、これは皮肉です。誤解しないでね。
行方不明者が何人であろうと誰であろうと、外国の軍や政府が日本政府の相手当事者となる場合は 総理はその時点で遊びは中断し官邸に移動すべきっていうのは自明の理。

「秘書官から動くと連絡がとれなくなる恐れがあると言われた」

噴飯ものです。総理は携帯持っていないはずがないよね。おそらく自己のせいにさせられた であろうその秘書官が気の毒です。

「ゴルフなので止まっていると他の人にも迷惑になるから18ホール中半分の9ホールまで 回って切り上げた」

話になりませんね。「語るに落ちた」とはまさにこれでは。 後からとって付けたであろう弁明という馬脚があらわになったような気もします。

与党のかなめである公明党幹部も「困ったものだ。野党側に党首討論での追及材料を提供しているようなものだ」 と記者団に述べ総理による言い訳を批判しました。
おせっかいながら 公明もこんな政権早く離脱しないと国民から総理一味と同じように見られちゃうよ

2001年02月14日 07時50分59秒

随想「優しい雷」装い新たに再出発です。
タイトルの通りです。
もちろん旧の「優しい雷」もUPしたままにしておきます。 そちらのほうも時々見て僕を観察し続けてください。

旧版の路線通り、音楽に限らず心に感じたいろんなことを優しくしかし時には雷のように激しく つづってみるつもりです。

引き続きよろしくお願い申し上げます。

2001年02月14日 00時26分05秒
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