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新!優しい雷(2002.7月3日~9.8日)
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総理の北朝鮮訪問を前に(その2) 2002/Sep/8(Sun)
「金正日氏の自滅」は必ずしも夢とはかぎりません。国内の窮乏や同国民衆の無力感・
脱力感は我々の予想以上のものだと思います。彼がいろんなことに嫌気がさして政権を投
げ出したり実質上、破滅の道を自ら選ぶことはあながち夢のまた夢とは言えないかもです。
また、民衆に視点をあてると、いかに幼少時からの金王朝賛美教育が施されていても上記
ネガティブ現象を相殺することはできないし、民衆はそこまで愚かではないと思います。
現に数年前までは考えられなかったかけ込み亡命の頻発等は金王朝崩壊のまさに序曲。
最高幹部の亡命にしても然り。

北朝鮮が諸外国からどう受け取られているかということはある程度どころかかなりの部分
が同国国民には知れ渡っていると察します。同国内での口コミ情報は適確で鋭いそうです。
また、こればっかりは権力は轡(くつわ)をあてることはできないみたいですね。

「北朝鮮人は同国 権力に洗脳されているから・・・」の発想は日本人の多くが抱くところです。
私もかつてはそう考えていました。しかし、「洗脳」での民衆支配はいったんほころびはじめたら
後は雪崩れ現象で崩壊していきます。
以前「猿のイモ洗い」の文を読んだ記憶があります。猿はイモ洗いという行為を知らない
ので砂のついたままのイモをそのまま口にしていたそうです。海岸でイモを海水につけて
洗う行為は特定の若い一匹のサルがやりだしたことです。洗浄のみならず海水食塩による
味付け効果も彼は同じに発見。ほどなくして歳をとった猿以外はほぼ全てやりだしたそう
です。
なんかのことがきっかけで抑圧された民衆が解放されることはままあることです。インドネシア(スハルト氏独裁)
にし てもかつての中国(毛氏本人を含め毛沢東主義者の天国)、ルーマニア(チャウシェスク
氏独裁)等など。権力からの個人崇拝押しつけヘはうわべだけで恭順のふりをする技術は
民衆は持っていま すが、それはあくまでポーズであった証拠です。

統一の前に北朝鮮民衆が大量に日本に亡命・不法入国の可能性はあります。統一後も然り。
日本の入国管理行政の厳しさは「来るべき朝鮮人大量入国」を想定の上、前例をつくらないよう
意識した非人道入国管理行政であることは明白ですね。
私見では日朝の歴史的経過を鑑みた上でも統一コリアへの日本の援助は不可欠のものとなり
ましょう。その分、明治以来の朝鮮統治主義の数々の日本人政治家に見とおしがなかった
と確実にいえます

小泉総理の北朝鮮訪問を前に 2002/Sep/8(Sun)
小泉首相の北朝鮮訪問・世襲独裁者キム・ジョンエル(金正日)氏との会談(19日)が
いよいよ迫っています。
過去の植民地統治時代ヘの言及や拉致問題・日本人妻を含む帰還者問題等での進展など
日朝問題は国交正常化を前に深刻な問題が山積みされています。小泉首相の行動が単 なる
パフォーマンスに終始するのではなく実効を伴った成果が期待されます。ただ、仮にパフォ
ーマンスだけであった場合であってもこれまでの総理のように「北朝鮮との交渉は全て外
務官僚に任せるという」姿勢よりかはトップとしての積極性は認めてあげるべきだとは
思います。全ては対話から始まるのだから。

私を含め多くの日本人は「民衆が塗炭の苦しみを被っている北朝鮮独裁政権は中から明治維新の
時のように壊れるのがいい」と思っています。
ただ、その時、大流血の事態が起こらなければいいんだけどね。
キム・ジョンエル(金正日)氏がこの世での栄華栄 達に飽きが来てその芸術破滅型(ルード
ウィヒ国王型)の自らのキャラに基づき政権を投げ出してどこかに一家ともどもに亡命さ
れて一応は米韓主導による民 主政権が出きればいいと思います。ルードウィヒを破滅に導
いたといわれる音楽家ワーグナーのような方が出現す ればいいんだけどね。金氏は政治には
向かない人だと思うよ。思う存分好きな芸術演出をして余生を暮らせば本人にとっても幸
せかもです。(ほんとうはこれまでの種々のネガティブな事件の責任者として裁かれる
のが望ましいのですが)




N君の創った曲 2002/Aug/27(Tue)
あることで知り合った若い友人N君(高校1年生)の夏休みの音楽の宿題に「8小節前後の小作品作曲」というのがでているということでさっそくこの日曜日、彼に僕のMIDI作編曲ソフトの操作 を教えてあげました。「作品は2本のリコーダーを主旋律に同楽器で両パートの演奏もできるように」「加 えて簡単なピアノ伴奏もできるように」というのが宿題の前提でした。
元来、音楽演奏・創作とは無縁の彼ですが、僕の部屋では真剣そのものにパソコンや急き押入れから取り出しPCの前に置いたMIDI鍵盤に取り組んでいました。
そして約4時間後、作編曲と簡単なピアノ伴奏が演奏可能に♪はじめてにしてはなかなか
しなやかで心地よい作品ができあがり ましたよ。まあ、聴いてみてください。(できたら2本のスピーカーで聴いてあげてくださいね。)
せせらぎ
どうでした?(^△^)
こ の創作をきっかけに勉学やスポーツを得意とするクレバーなN君が音楽など文化にも主体的に若い感性を注いでくれたらいいなと思っています。






孤高の詩人 大手拓次(その2) 2002/Aug/25(Sun)
拓次の作品中、比較的わかりやすい詩(行間・文底などのことを考えれば多分、けっこう複雑難解な詩かもしれないけど)がありますので以下に紹介しておきます。

十六歳の少年の顔(思い出の自画像)

うすあおいかげにつつまれたおまへのかほには
五月のほととぎすがないてゐます。
うすあおいびろうどのようなおまへのかほには
月のにほいがひたひたとしています。
ああ、みればみるほど薄月のような少年よ、
しろい野芥子(※のげし)のようにはにかんでばかりゐる少年よ、
そっと指でさはられても真赤になるおまへのかほ、
ほそい眉、
きれのながい眼のあかるさ、
ふつくらとしたしろい頬の花、
水草のようなやはらかいくちびる、
はづかしさと夢とひかりとでしなしなとふるへてゐるおまへのかほ。

孤高の詩人 大手拓次 2002/Aug/25(Sun)
古本屋で「大手拓次」(日本の詩 ほるぷ出版)という詩集を入手しました。
詩の内容もさることながら解説で知った彼の孤独で我が道を行く生き様のほうに
関心が生じています。
生前はほとんど評価されなかった方のようですね。ただ、詩人萩原朔太郎は彼の才能を大きく評価していたとか。。
拓次の詩の鑑賞は今の僕にはまだまだ無理かもだけど(萩原朔太郎さへいまい
ちわからん状況^^)まぁこれから長い目で時間をかけて鑑賞していきたいと思っています。

それにしても全般に詩って奥が深そうですね。若き日の大江健三郎氏が詩をあきらめたっていうのもうなづけるかもです。

※参考URL大手拓次小辞典


住民基本台帳ネットワーク 2002/Aug/5(Mon)
確かに個人情報流出の懸念があるのはわかるしそれはゆゆしき事態です。しかし、
僕は将来、脱税摘発に住基ネットが使用されることは是とします。なんで、最初
から脱税予防に使うと政府は言わないんだろうか?アメリカ等でも国民総背番号
制と脱税摘発・予防は密接に関連するし、日本でも来るべき老齢化社会や福祉充実
等のためにもそれはやむをえないような気もします。

それから、個人情報を扱う公務員ヘの罰則規程はたしかに生ぬるいですね。罰則強化
(公務員だけへではないけど)は緊急の課題だと思います。

また、各役所は職員への内規に「個人情報を目的外に使ったり流用した者は懲戒免職!」との項目を付記することで乱用・悪用にしばりをかけることも必要でしょうね。

海水浴 2002/Aug/5(Mon)
日本海に面したある湾内の海水浴場に泊りがけで行ってきました。
海水浴場内にある民宿なので泳ぎ疲れたあとの休息・昼寝が楽だったよ。
とてもこじんまりとした海水浴場でしかも平日だったので僕らを除けば泳いでるのは
ほんの数人で落ちついて泳ぎを楽しむことができました。ここ数年では一番泳ぎがいのある
海水浴でした。
また、今回は水中メガネを持っていったので、きれいな海中の様子もつぶさに見たし
多分、「サメよけネット」は設置していない海水浴場だとは思うけどつい、三角旗の
近くまで泳いでしまったよ。
サメが全て人を襲うわけでもないし、また、たとへ襲うサメのことを鑑みても悲劇に
遭遇する確率は、その海水浴場に向かう途中での自動車事故の確率に比べたら
比較にならないほどごくわずかですよね。だから大丈夫だぁ♪とは思ってはいたけど
いざ三角旗の近くまで到達してみるとやはり同じ日本海沿岸である別地方の海岸でサメの
群れが出たという去年&今年の報道が頭に浮かびちょっと怖くなりましたよ。基本的に
僕は小心者なのですぅ。

なお、日本海では8月15日ぐらいを過ぎたら赤クラゲ(人を刺します。)が出て泳げなくなるって
よく耳にするけど地元の方の談では、「当海水浴場のように外海ではなく湾内の浴場
ならほぼその心配は御無用(大意)」とのことです。



政党の責任@議員の職場エスケープ 2002/Jul/28(Sun)
前首相、小渕氏の娘の小渕優子さん(衆議院議員)が某TV 局プロデューサー氏との白昼でのデートを
(衆議院は開会中で公務の時間帯)写真週刊誌にフライデーされていましたね。
「公務時間帯では!」との同誌の指摘に対しての優子議員の言い分は「遅くまで仕事を
する日もありますから・・(趣意)」

一般公務員の方々もその多くが17時を過ぎても仕事をされています。だけど、昼も一生懸命
働 いておられますよね。役所を抜け出してデートに熱中していたらすぐに厳重処分ものです。

同議員事務所からも反省のコメ ントはなかったどころか「(デートは)私的な事だからそっとして
おいてくれ(大意)」というように開き直っているみたいですね。むろん、議員=事務所である
事は疑いの余地はありません。

親の威光である自民党はともかくも、選挙で優子議員を推薦(支持)した他の政党は同議員支持行為ヘ
猛省するとともに同議員に対して厳重抗議をしなければなりませんね。
政界のバランスと党利、党幹部の弛緩で世襲候補支持を押しつけられた群馬県の一部有権者
ヘはほんとうにお気の毒の限りです。

※以下参考ZAKZAK 2002/07/26付
小渕優子議員、恋人と週末デートを激写
東大卒のTBSエリート・プロデューサー

故小渕恵三首相の愛娘、小渕優子衆院議員(28)が、恋人と週末を過ごし、翌日の月曜も新宿・歌舞伎町でラブラ ブモードでデートをしていた姿を、26日発売の「フライデー」に激写された。不況で失業者があふれ、自殺者も3 万人を超える日本だが、国会開会中にもかかわらず月曜の先生はとってもおヒマなようだ。
優子先生が熱々交際中なのは、かつて勤務していたTBSの同期で、若手のホープと言われる東大卒のエリートプロデュ ーサーA氏(28)。
今月半ばの日曜日午前中に渋谷区内のA氏のマンションを優子先生が訪れると、2人は午後いっぱいを部屋で過ごしたが、翌月 曜の昼間も、仲良く歌舞伎町に出掛け、優子先生はTシャツにジーパンという国会議員にはとても見えないラフな姿(変装? )で映画デートを楽しんだ。
その熱々ぶりはほほえましくもあり、後日、同誌に直撃された先生も「フフフ」「ハッハッハ」と笑ってみせた。ただ、 平日デートの是非を問われると、通常の月曜午前中は、英語のレッスンで、その日はたまたまレッスンがお休みだった と言い訳したうえ、「夜が遅かったりするので、午前中ゆっくりさせていただく」こともあるとか…。
リストラにおびえながら時間に追われて働く中高年のサラリーマンなどには、なんとも優雅に聞こえるお話でもあった。


2002/Jul/15(Mon)
このあいだ音楽に関係なく詩を作ったのですが、詩って難しいですね。
特に見せたい相手方にできるだけ急いで自分の思いを詩を通して伝えたい時
など、つい洒落た語句の後付けや修辞などの作業を省いてしまいがちです。

特にいろんな修辞表現で加工・修正したりするのはほんと時間がけっこうあまっている
時じゃないと僕の場合できません。また、修辞なしだとけっこう平面・単純なものに
なってします。
「対句」「体言止め」「省略」「反復」「連用止め」「倒置法」「擬声語」「擬態語」「暗喩」「直喩」
などなど修辞って中学高校時の国語の授業を思い出しますね。まあ「掛詞」「縁語」
「隠し連句(詩の各連の 特定語句をつなぎ合わせたら一つのテーマ語句が出る技術。正式
修辞名称は忘れました)などは僕の教養じゃなかなか 困難みたいです。

まあ、修辞なしの拙い原詩でも見る方に真心さへ伝わればいいかぁ。(自己満足モード)

当HPのリンクルームに徳島ペンクラブと徳島現代詩協会の会員でもあるYUTAKA
さんのサイトを相互リンクしたことも付記しておきます。




フォーク史を一考察 2002/Jul/3(Wed)
最近、知人の影響でフォークシンガー「山崎まさよし」の「明日の嵐」とい う曲を練習しています。それまでは「フォークは簡単!」って思い込んでいましたが、何が何 が、けっこう悪戦苦闘しています。それでフォーク史について考えてみました。

米国では1965年頃フォークシーンでは 人気絶頂のボブ・ディランがニューポートフォークフェスティバルにてエレキバンドを従え旧のフォークファンからブー イングと罵声をあび「全ては終わった」という曲を涙ながらに歌い彼等に別れを告げたとか。
以後、公民権 運動の文化の側からのこの立役者はプロテストソングをめったに歌わなくりロック・ポップ路線に完全移行。 その後も今日に至るまで数々の名曲を残しています。

プロテストシンガーとしての初期・前期ディ ランが日本の「アングラフォーク」「関西フォーク」に影響を与えたことは疑いの余地はないと思います。
また、フォー ク系でもニューミュージック路線の井上陽水やメイジャーになってからの吉田
拓郎あるいは同時期及びそれ以 降の類似ミュージシャン達がフォークロックシンガーとしてのディランから多大な影響を受けたこともまた然りです。
前期ディラン派、後期ディラン派どちらにせよ、いい作品・歌詞は現在でも脈々と歌われ
あるいは語り続 けられていると思います。

ただ、商業的側面から述べると例えば60年代末期から70年代前期頃までに一時 的にブームになった「ブルースロック」あるいはオーネット・コールマンや晩年のジョン・コルト
レーン等を盟主と仰ぐ 「フリージャズ」(読者の方が原体験者なら当時のジャズ喫茶あたりでの暗い盛況を思い起こしてみてください)と同様、 日本の「前期ディラン派」がレコード会社販売政策に合致しなかったであろうことは容易に察せられます。
ただ、 いい物はそれがCDに再刻されるか否かは別にしていつまでも残るであろうしそうでないものは既に歴史は忘却処分 にしているとは思いますよ。
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